さて、西蒲三山の雪が完全に無くなるこの時期に地元トレイルランナー待望のN3PUCが開催されました。
※N3PUCとは Nishikan Three Peaks Ultra Challenge の略で、チャレンジャー(参加者)が自分の距離目標を持って走るチャレンジです。
今回は県外からも多くのチャレンジャーが参加しましたし、応援の方だけでなく、コースを逆走する観察ランナーの協力もありました。今年は五ヶ峠のエイドに加え、ほたる登山口にもエイドも設営され、至れり尽くせりでした。
このイベントが周知されてきた証です。
昨年100マイルに挑戦した私は、三山三往復(リレー部門)に参加しました。
三人チームでしたので一人当たり西蒲三山の縦走路一往復(往復約50km累積4000m)することになりました。なお、今回から三山三往復(ソロ部門)も新設され、一人で三往復(約150km累積12000m)に挑戦する猛者も居られました。
初日のスタート時刻は土曜日早朝6時でした。
私は三走目のアンカーでしたが、一走目のチームメイトやその他のチャレンジャーを応援するために会場に向かいました。
スタート前にチーム写真の撮影タイム
三人一緒に撮るはずが二人のみ(二走目の女子Wさんの到着が遅れてしまい…)。
今回のチームは大丈夫か?とスタートから心配になりました。
リレーの選手は青の襷を繋いで走りました。

一走目のチームメイトは膝痛に苦しみながらも良好なタイムで完走し、二走目のWさんに襷を渡してくれました。二走目の時間帯はほぼ夜パートなのですが、本気モードに入った彼女には全く問題ありませんでした。
視界の悪い暗闇のトレイルを恐ろしい勢いで下ったのでしょう。Wさんは他チームの選手を追い抜きトップで到着しアンカーの私に襷が繋がりました。
実はこの時彼女は風邪気味で完走後はかすれ声になっていました。
その頑張りに感心するとともに、こりゃ大変だと私も本気モードにスイッチオン。
前半から飛ばし過ぎたのか、疲れで体幹が弱ったのか。
往路の樋曽山の杭が多く突出した箇所をくだった際に私は一本の杭を避けきれず左の膝小僧が激突しました。
流血事件!の痕跡を温泉の脱衣所で確認

絶叫とともに一瞬座り込んでしまいましたが、アドレナリンが出てたのでしょう。
直ぐに立ち上がって走り続けました。
その後、間もなく五ヶ峠エイドに到着。
このエイドには多くの方からの厚意で沢山の食べ物と飲み物があり、走る前からこのエイドに立ち寄るのが楽しみでした。
長時間のボラなのに一人一人に選手に親切にして頂いたMさんと一緒に記念撮影。
そして、角田山山頂に登った後でほたる登山口の折り返し地点へ。
ここでも自分の仲間達が私設エイドでお出迎えしてくれました。この登山口へ降りる前から賑やかな話し声が聞こえてきてテンションが上がりました。
その居心地のよい場所に長居したかったのですが、他チームのアンカー選手が迫っているのが判っていたので短時間で補給を済ませました。その後、復路でも仲間の応援を受けました。復路の樋曽山ではIさんとMさんが旗を振って応援してくれましたが、ゆっくり応えられませんでした。
弥彦山まで戻ってくると階段の上から仲間が待ち受けて撮影してくれました。
弥彦山を過ぎれば後は下り基調です。キツイのは黒滝城跡に向かうロード坂と国上山の上りだけ。今回私は弥彦スカイラインのロード坂も黒滝城のロード坂も全てジョグで駆け上がりました。
ロード坂では数字を500まで数えたりして、ひたすら我慢の連続。
ただ、通い慣れた縦走路なので坂の終わりも見当がつくので我慢できたと思います。
結果、誰にも抜かれず1位のままゴールしました。
またゴールシーンもチーム全員の写真は取れませんでした(^_^;)。
二走目のWさんがゴールまでに日帰り温泉から戻ってこれませんでした(笑)。
私の到着が彼女の予想より速かったみたいです。
色々とハプニングはありましたが、チーム一丸となるリレーも良いですね。
普段の練習なら11時間以上も掛かっていた縦走路往復が今回は9時間も掛かりませんでした(8時間50分位)。様々な区間で自己ベストでした。普段はやっぱりセーブしながら移動しているんですね。

当日は前日までの雨でトレイルがドロドロで走りにくく日中は気温が上がり、とても厳しい環境でしたが、100マイルや三往復を達成されたチャレンジャーが多く現れました。その勇気と粘り強さに感服しました。
今年もN3PUCに参加しましたが、選手も主催者もボラも含め関わる方々全てが温かいイベントでした。来年も何かしら立場で関わりたいです。
令和7(2025)年4月28日 新潟市にて回想
松浦国際特許事務所(新潟市西区)
新潟 弁理士 松浦 康次